暴走編、冬の巻です。
ん~?
何だかっちょっと作風が代わってきましたね(^^;)。
今までは単なる(?)ドタバタメインだったのが、微妙に小ネタ知識みたいな話が多く。。
その中でも以前から気になってた事柄がちょうどあったので。。
「東京に、環七、環八があるけど、六以下は無いのか」
この本によりますと、以下のようになってるそうで。
環状一号線:皇居の内堀通り
環状二号線:外堀通り
環状三号線:外苑東通り-(未開通)-三ツ目通り
環状四号線:外苑西通り
環状五号線:明治通り
環状六号線:山手通り
ほー、基本的に皇居(江戸城)を取り囲むような同心円になってるのですな。
ちなみに、管理人が住む奈良にも数字の付く道路が大昔からありまして、
一条通り、三条通り・・・
・・・
あれ?
道路名(通称ですが)として残ってるのはたったコレだけか?(^^;)
地名としては、四条、五条、六条、七条、八条、東九条、とか
いろいろあるんですが・・・そうか、道路名としてはほとんど無かったのですね。。
一方京都は管理人の記憶が正しければ、
東一条通り、二条通り、三条通り、四条通り、五条通り、六・・が無くて、
七条通り、八条通り、九条通り、十条通り・・・結構生き長らえてますね(^^;)。
う~む、なぜそんなに違いが・・・(^_^;)。
「街が分断」というのも、すごい状況ですね(^_^;)。
奈良でもこのところ「平城京遷都1300年」に向けて、無駄にあちこち工事だらけです(-_-;)。
ああ、またやってしまった。
↓下の記事のカキコはワタシです。m(_~_)m スミマセン
>六環と環七は東京オリンピックの時に作られたので、整備されてますが、
そうそう、オリンピックの前後は野方に住んでましたが環七なんて見る見るうちに出来上がってしまい町が東西に分断されてしまいました。当時はまだ道路も空いててやたらダンプカーが多かった記憶が。。。
この道路のせい?で子供の交通事故が激増しました。(信号機の無いところを平気で走って渡ってましたから。。。当時の普通の情景でした)
「計画的に」というのであれば、いっそのことまっ平らに整地してから復興してたら
あんなに坂だらけの街にならずに済んだかも(笑)。
あと、やたらと道路が曲がってるのも何とかしてほしいですね。。。
真っ直ぐな道に慣れてる関西人は「あれ?明後日の方向を向いてる(~_~;)」という事態によく遭遇します(笑)。
>「東京に、環七、環八があるけど、六以下は無いのか」
ココ読んだ時に馬鹿かぁ?と思っちゃった^_^;
東京は空襲で焼け野原でしたから、道路を計画的に作れたんですね。
京都・奈良は空襲無かったハズですから。
六環と環七は東京オリンピックの時に作られたので、整備されてますが、
環八はなかなか整備されませんで、寸断されてましたねー。
実家は六環と環七の間なのですが、結構貴重な鳥がいます。環七を越えられず、
取り残されたそうです。
小さい時に夏は毎日光化学スモッグが出てまして、喘息の私は死にそうだったのを
覚えてます。